東京地方裁判所八王子支部 昭和57年(ワ)1362号 判決 1988年8月31日
原告 伊藤祐之進
右訴訟代理人弁護士 本多清二
被告 東京都
右代表者知事 鈴木俊一
右指定代理人 田中庸夫
<ほか三名>
主文
一 被告は原告に対し金二〇万円及びこれに対する昭和五七年七月二五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し金二〇〇万円及びこれに対する昭和五七年七月二五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 警察官による違法な逮捕及び留置
(一) 身柄拘束に至る経緯
昭和五七年二二日午後一〇時一五分ころ、原告と乙山春夫とが、原告の住居兼事務所内において、原告と丙川秋子との間の交通事故に基づく損害賠償につき話合いを始めたところ、右乙山が興奮した様子でけんかごしの態度になり、原告の妻美津子の出したお茶が置いてある応接用テーブルを原告に向かってひっくり返したため、湯飲み茶わんが原告の方へ飛んできて、原告はその左肩に入れたばかりの熱いお茶がかかり、やけどをした。原告は乙山の攻撃を止めさせようと思い、同人の両腕を押えて妻に、「早く一一〇番しろ。」と指示し、妻がそれに基づいて一一〇番通報によってパトカーの出動を求めた。美津子が一一〇番をかけたのは同日午後一〇時二六分ころであった。同日午後一〇時四〇分ころ、小平警察署所属の警察官二名がパトカーで原告の住居兼事務所に到着した。乙山は、パトカーが着く直前に、原告の妻美津子の「パトカーを呼んだからやめなさい。」という言葉によっておとなしくなった。原告は事務所から居宅への上がり口に腰掛け、乙山は事務所(四畳半)内の応接用長いすに腰掛け、タバコを吸っていた。乙山はパトカーの着く音を聞き、自分が乗ってきた自動車にかぎが差し込んだままであることに気付き、隣に座っていた丙川に車のかぎを取って来るように頼んだ。丙川は右事務所から外に出たところ、警察官の一人とすれちがい、乙山の車のところに行くと、その後にパトカーが止まっていて、その運転をしていたもう一人の警察官から、「パトカーを止めるのでこの車を前の方へ移動して下さい。」と指示された。丙川は指示に従って乙山の車を前に移動し、そのあとにパトカーを誘導した。丙川とパトカーを運転していた警察官とはほぼ一緒に事務所内に戻った。警察官は事務所内に入ってきて、事務所内の応接用テーブルがひっくり返っているのを見ながら、「どうしたのだ。」といったので、原告は「交通事故の件で話し合っているうちにあいつが飛びかかってきて、それを押えているうちにもみ合ってしまった。」と述べた。警察官は、約一〇分間事情を聞き、「詳しく聞きたいから署のほうに来てくれ。ここから署は近いから。」といった。美津子は、「それでは私が車を運転して……」というと、警察官が「いや、だんなさんはパトカーに乗って、君たちは自分の車でパトカーの後についてきて下さい。」と乙山、丙川に指示した。原告、乙山、丙川が外に出たところ、最後に事務所を出た警察官が美津子に向かって「電話をするから、後で迎えに来てほしい。」といい、美津子に対して夫である原告を逮捕した旨を告げたことはなかった。また、原告が警察署で留置されるおそれがある旨を告げたこともなかった。二名の警察官は、いずれも原告及び乙山に対し逮捕する旨を告げたことは全くなく、手錠をかけることもなかった。乙山は自分の車に丙川を同乗させ、パトカーの後について警察署へ行った。
(二) 原告が留置された経緯
原告は小平警察署に着くと、警察官から事情を聞かれた。原告は、同日午後一一時三〇分ころ、本件捜査の主任と思われる警察官から「泊まっていけ。」といわれたので、原告が「そんな必要はないのではないか。帰して下さい。」というと、「いや、もう決まったのだ。」といわれ、一方的にいい抑えられてしまった。原告は逮捕されているという意識は全くなく、なぜ警察署に留置されているのかもわからなかった。しかし、その後別室で身体検査、指紋の採取、写真撮影、持ち物の提出、ズボンのベルトの取りはずしなどをされ、留置場に連れていかれるまでの間手錠をかけられて初めてことの重大さに気付いた。
他方、原告の妻美津子は、原告が単なる事情聴取のため任意に警察署への出頭に応じたものと思い、事務所内を整理していたところ、同日午後一一時一〇分ころ、小平警察署から原告宅へ電話があり、「現場の写真を撮りたい。」という問い合わせがあったが、既に現場を整理してしまったので、その旨を伝えた。その後、同日午後一一時四〇分ころ、美津子は、警察署からの電話はなかったが、原告の帰りが遅いので原告を迎えに同署まで行ったところ、担当刑事から「電話をするつもりでしたが、今日は泊まってもらうことになったから。」といわれた。美津子は驚いてしまい、「明日の仕事のことがあるので主人に会わせて下さい。」といって、同署内で原告と面接し、その直後刑事から、「奥さんにも事情を聞きたい。」といわれ、供述調書をとられた。
(三) 釈放されるまでの経緯
原告は、翌二三日も小平警察署で取調べを受け、同年七月二四日、関係書類とともに東京地方検察庁八王子支部検察官に送致された。右送致を受けた検察官は、同日午後一時一五分ころ、原告を釈放した。
(四) 逮捕及び留置の違法性
右に述べたところから明らかなとおり、小平警察署所属の警察官は原告に対する現行犯逮捕手続を行なっていない。原告は、現場に到着した警察官から任意同行を求められ、これに応じて任意に小平警察署へ出頭したものである。したがって、本件では逮捕行為が存在しない。
仮に原告が現行犯逮捕されたとしても、右逮捕は、逮捕の必要性が全くないにもかかわらずされたものである。すなわち、原告は自らの指示でパトカーを呼び、かつ現場は原告の自宅であり、住所、氏名は明確になっており、逃亡のおそれは全くなかった。しかも、原告には前科がなく、警察官の質問にも素直に答えた。関係者は原告、その妻美津子、乙山及び丙川の四名で、その四名がすべて現場におり、いつでも任意に事情を聞くことができた。また、警察官は乙山、丙川に対してはその現場において氏名は聞いたものの、住所は聞いていない。このような客観的な状況を考慮すると、原告を逮捕する必要性は全くなかった。したがって、本件では逮捕の必要性が存在しない。
そうすると、いずれにしても原告の身柄を拘束し、引き続き留置したことは違法である。
2 被告の責任
原告は、警視庁小平警察署の警察官の前記のような違法な公権力の行使により後記の損害を被った。警視庁小平警察署の警察官は、普通地方公共団体である東京都が設置する東京都警察の職員である。よって、被告は、国家賠償法一条一項により原告の被った後記損害を賠償する責任がある。
3 損害
原告は、小平警察署の警察官の違法な逮捕及び留置により身体の自由を拘束され、強制的に指紋を採取され、また、名誉を傷つけられ、著しい精神的苦痛を被った。右の精神的苦痛を金銭で慰謝するとすれば、二〇〇万円が相当である。
4 よって、原告は被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、不法行為による損害賠償として金二〇〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五七年七月二五日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1(一) 請求原因1(一)のうち、昭和五七年七月二二日午後一〇時一五分ころ、原告と乙山春夫とか、原告の住居兼事務所内において、原告と丙川秋子との間の交通事故に関する話合いを始めたこと、右乙山がお茶の置いてある応接用テーブルをひっくり返したこと、熱いお茶が原告の左肩にかかり、原告がやけどをしたこと、原告の妻が一一〇番通報によりパトカーの出動を求めたこと、その時刻が午後一〇時二六分ころであったこと、午後一〇時三〇分ころ、小平警察署所属の警察官二名がパトカーで原告の住居兼事務所に到着したこと、パトカーを運転していた警察官が乙山の車の後にパトカーを止め、丙川に対し車を前方へ移動するように指示したこと、丙川は右指示に従って乙山の車を前方に移動したこと、丙川とパトカーを運転していた警察官は、ほぼ一緒に事務所内に入ったこと、警察官が応接用テーブルがひっくり返っているのを見て、原告に対し「どうしたのだ。」といったこと、原告は、原告と乙山が交通事故の件で話し合っているうちに、丙川が飛びかかってきた旨を述べたこと、警察官が約一〇分間事情を聴取したこと、原告の妻美津子が自ら車を運転する旨述べたこと、警察官が原告をパトカーに乗せ、乙山及び丙川には自分の車でパトカーの後についてくるよう指示したこと、警察官が美津子に対し原告を逮捕した旨及び留置する旨を告げなかったこと、警察官が原告及び乙山に手錠をかけなかったこと、乙山及び丙川は乙山の所有する車でパトカーの後について警察署へ行ったことは認める。警察官が原告に対し「詳しく聞きたいから署のほうに来てくれ。ここから署は近いから。」といったこと、警察官が美津子に向かって「電話をするから、後で迎えに来てほしい。」といったこと、二名の警察官はいずれも原告及び乙山に対し逮捕する旨を告げなかったことはいずれも否認し、その余の事実は知らない。
(二) 同1(二)のうち、原告が警察官に対して「帰して下さい。」といったこと、警察官が原告の身体検査及び指紋の採取をし、所持品を提出させ、ズボンのベルトを取りはずしたこと、原告を留置場へ連れて行くまでの間手錠をかけたこと、同日午後一一時一〇分ころ小平警察署から原告宅に現場の写真を撮りたい旨の電話があったこと、電話に出た美津子が既に現場を整理してしまった旨を答えたこと、同日午後一一時四〇分ころ美津子が小平警察署に出頭したこと、警察官が美津子に対し、今日は泊まってもらうことになっている旨述べたこと、美津子が明日の仕事のことで原告に会わせてほしい旨を述べ、警察署内で原告と面接したこと、警察官が美津子に事情を聞きたいと告げ、同女の供述調書を作成したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 同1(三)の事実は認める。
(四) 同1(四)のうち、本件犯行現場が原告の自宅であること、原告の住所、氏名が明確になっていたこと、原告には前科がなかったこと、原告、その妻美津子、乙山及び丙川の四名が現場にいたことは認めるが、原告が指示してパトカーを呼んだことは不知、その余の事実は否認する。
2 同2は争う。
3 同3は争う。
三 被告の主張
1 暴行・傷害事件の発生と原告の逮捕
昭和五七年七月二二日午後一〇時二六分ごろ、原告の妻美津子から警視庁通信指令本部立川分室に、夫である原告と客が交通事故の修理代金の支払のことから自宅でけんかしている旨の一一〇番通報があった。右立川分室指令担当者からこの旨の通報を受けた、警視庁小平警察署無線警ら車(以下「パトカー」という。)で警ら中の、巡査長木須茂(以下「木須巡査長」という。)、同巡査諸井滋樹(以下「諸井巡査」という。)の二名が、同日午後一〇時三〇分ごろ原告宅に到着したところ、原告宅一階の住居兼事務所内は応接用テーブルが倒れ、壊れたいすや湯飲み茶わんが散乱していた。このとき、原告は同事務所から洋間に通じる入口に、また、乙山春夫は同事務所内のソファーにいて、両名はにらみ合うような形で座っていた。そして、臨場した木須巡査長らの事情聴取に対し、原告は、原告と丙川秋子との間の交通事故の件で話合いをしているとき、乙山がお茶をかけ、飛びかかって来たので、取っ組合いのけんかになったが、お茶をかけられた際にやけどをした旨を申し立て、赤くやけどの跡がある左肩付近を示した。他方、乙山は立ち上って、原告があまりにも理不尽なことばかり主張するのでけんかになってしまったが、その際原告に殴られた旨を申し立てながら、はれあがった唇付近を差し示した。この事情聴取の間にも、原告と乙山は興奮して互いに相手が悪い旨を大声で怒鳴り合い、また、口論するなど再び険悪な状態になり、一見して一一〇番通報のとおり、数分前に同所で原告と乙山が暴行、傷害の行為に及び、現に罪を行ない終わってから間がないことが認められた。そこで、木須巡査長らは、なおも怒鳴り合っている原告と乙山の間に入りながら、両名に対し暴行、傷害の現行犯である旨及び詳しくは小平警察署で聞く旨を告げ、原告を暴行罪、乙山を傷害罪の現行犯人として逮捕し、原告らを小平警察署へ連行し、同署司法警察員に引致した。なお、現行犯逮捕は、現行犯たる要件を具備する者の身体の自由を拘束し、逮捕者の支配下におく事実があれば足り、必ずしも手錠をかけることを必要としない。
2 逮捕後の捜査と身柄の措置
原告らの引致を受けた小平警察署司法警察員警部補阿部省三(以下「阿部警部補」という。)が原告に対し、また、同巡査部長深沢全長(以下「深沢巡査部長」という。)が乙山に対し、犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げたうえ、弁解の機会を与えたところ、原告は、乙山が熱いお茶をのせたテーブルをひっくり返したことから取っ組合いになった旨述べたものの、乙山を殴打するなどの手出しは一切していない旨を述べて犯行を否認し、乙山は、原告とけんかになり、やけどをさせた旨を述べ、犯行を認めたので、それぞれ弁解録取書を作成した。阿部警部補らは、その後引き続き原告らを取り調べたが、原告の暴行の事実が明らかであったにもかかわらず、原告は犯行を否認しており、また、本件は昭和五七年七月七日に発生した原告と丙川の交通事故による車両の修理代金の支払についての話がこじれた末の暴行、傷害事件であり、原告も乙山も相手方に対する憎悪の感情が著しく、このまま釈放すれば証拠いん滅のおそれがあり、また、再び同種の犯行に及ぶおそれがあったことから、引き続き原告及び乙山を留置する必要があると認め、同日の宿直責任者である同署交通課長警視谷田幸人(以下「谷田警視」という。)にこの旨を報告した。この報告を受けた谷田警視は、自ら原告及び乙山を取り調べたところ、前記阿部警部補らの報告の事実が認められたので、原告らを留置することが相当であると判断し、阿部警部補らにこの旨を指示した。そして、阿部警部補らは、原告及び乙山に対し、兇器や外傷等の検査及び所持品提出等の留置手続をとった。もっとも、原告に対しては、やけどの部位の写真撮影を行った後、東京都小平市学園西町一丁目二番二五号所在の一橋病院で治療を受けさせてから同署留置場に留置した。また、深沢巡査部長らは、同夜丙川及び原告の妻美津子から参考人として事情を聴取した。この事情聴取に対して、丙川は、原告と乙山が取っ組合いになり、部屋の中を重なり合いながらころげまわった旨供述し、また原告の妻美津子は、原告と丙川が取っ組合いのけんかをした旨及び相互に手を出し合って殴り合ったことは間違いない旨供述したので、深沢巡査部長らはそれぞれ参考人供述調書を作成した。
翌二三日、同署捜査係警部補後藤邦夫(以下「後藤警部補」という。)らは、原告及び丙川の指紋採取や取調べを行ない、被疑者供述調書を作成し、同月二四日小平警察署長名で、東京地方検察庁八王子支部検察官に事件を原告らの身柄とともに送致した。送致を受けた検察官は、同日処分保留のまま原告らを釈放した。
3 以上のとおり、原告には、現に罪を行ない終わって間がないと認められる暴行の事実があり、小平警察署警察官は、原告を右事実に基づき、暴行の現行犯人として逮捕し、更に、留置の必要性を認めて留置したものであって、そのことに何ら違法、過失はなく、また、逮捕した被疑者については、引致後すみやかに指紋採取等をしなければならない(犯罪捜査規範一三一条一項)のであるから、この点にも何ら違法はない。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 被告の主張1につき、警察官二名が現場に到着したとき、原告と乙山がにらみ合っていたことはなく、また、両名が大声で怒鳴り合っていたこともない。原告と乙山は既に平静になっており、乙山は丙川の横に座ってタバコを吸っていた。警察官が原告と乙山に対し、暴行、傷害の現行犯である旨を告げたことはない。特に乙山については、いかなる意味においても身体の自由の拘束はない。また、犯罪捜査の初歩的知識である現場の保全もなされていない。本件では、現行犯逮捕行為そのものが存在しない。仮に逮捕行為が存在したとしても、原告を逮捕する必要性は全くなかった。
2 被告の主張2につき、原告を留置する必要はなかった。七月二二日の深夜には関係者全員の取調べは完了し、原告にも乙山にも前科はなかったこと、原告自身負傷していたこと、警察官がトラブル防止の助言をするまでもなく、同種犯行の再発は考えられなかったことなどからすれば、原告を留置する必要は全くなかった。
第三証拠《省略》
理由
一 昭和五七年七月二二日午後一〇時一五分ころ、原告と乙山とが、原告の住居兼事務所内において、原告と丙川との間の交通事故に関する話合いを始めたこと、乙山がお茶の置いてある応接用テーブルをひっくり返したこと、熱いお茶が原告の左肩にかかり、原告がやけどをしたこと、原告の妻が一一〇番通報によりパトカーの出動を求めたこと、その時刻が午後一〇時二六分ころであったこと、午後一〇時三〇分ころ小平警察署所属の警察官二名がパトカーで原告の住居兼事務所に到着したこと、パトカーを運転していた警察官が乙山の車の後にパトカーを止め、丙川に対し車を前方へ移動するよう指示したこと、丙川は右指示に従って乙山の車を前方に移動したこと、丙川とパトカーを運転していた警察官はほぼ一緒に事務所内に入ったこと、原告は、右事務所内での事情聴取に対し、原告と乙山が交通事故の件で話し合っているうちに、乙山が飛びかかってきた旨を述べたこと、警察官は約一〇分間事情を聴取したこと、警察官が原告をパトカーに乗せ、乙山及び丙川には自分の車でパトカーの後についてくるよう指示したこと、このとき、警察官は原告及び乙山に手錠をかけなかったこと、乙山及び丙川は乙山の所有する車でパトカーの後について警察署へ行ったこと、警察署で原告は警察官に対して「帰して下さい。」といったこと、警察官が原告の身体検査及び指紋の採取をし、所持品を提出させ、ズボンのベルトを取りはずしたこと、警察官は原告を留置場へ連れて行くまでの間手錠をかけたこと、七月二二日午後一一時四〇分ころ美津子が小平警察署に出頭したこと、美津子が明日の仕事のことで原告に会わせてほしい旨を述べ、警察署内で原告と面接したこと、警察官が美津子に事情を聞きたいと告げ、同女の供述調書を作成したこと、請求原因1(三)の事実(釈放されるまでの経緯)、原告の住所、氏名が明確になっていたこと、原告には前科がなかったことはいずれも当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》及び前記一の当事者間に争いのない事実に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 逮捕時までの経緯
警視庁小平警察署パトカー乗務員である木須巡査長、諸井巡査は、昭和五七年七月二二日、警視庁通信指令本部立川分室員から、同署管内にい集した暴走族車両取締りの指令を受け、他のパトカーと共に右暴走族車両の集合現場へ急行中、同日午後一〇時二六分ころ、右通信指令本部から「民ゴタ」発生という一一〇番指令を受けた。この指令は、一一〇番通報者は原告の妻で、内容は、原告の自宅で原告と客とが交通事故の話合いからけんかになっている、原告宅付近を走行している木須巡査長らのパトカーは原告宅へ向かって処理に当たれというものであった。右指令を受けた木須巡査長らは原告宅へ急行し、四、五分後の午後一〇時三〇分ころ、原告宅へ到着した。木須巡査長らは、右一一〇番指令が原告と客とがけんかをしているとの内容であったことから、まずけんかを制止しなければならないと判断し、パトカー助手席の諸井巡査が警棒を所持して本件けんかの現場である原告宅事務所に入った。事務所内には脚の折れたテーブルや事務所用のいすがひっくり返り、湯飲み茶わんやテーブルセンター等が足元いっぱいに散乱していた。同事務所内には原告と乙山がいたが、原告は右事務所から奥の洋間に通じる階段に座り、乙山は事務所の右側のソファーに座ってにらみ合っており、両者は丁度けんかを中断したばかりという雰囲気であった。諸井巡査は、まず入口付近にいた乙山から事情を聴取したところ、乙山は、同年七月七日ころ女友達である丙川に車を貸したところ、丙川と原告との間に交通事故が発生した旨、その話合いのために原告方に来たが、原告が話にのってくれないことから自分がテーブルを倒したのでけんかになった旨、自分は原告から殴られたり首を締められた旨を述べた。このとき、パトカーを停車させた木須巡査長も、原告宅事務所に入り、諸井巡査が事情を聴いている乙山の方に行き、乙山から免許証の提示を受け、乙山の住所、氏名、年齢(二一歳)等を確認し、また、乙山の傍らにいた丙川からも免許証の提示を受けて住所、氏名等を聴取し、それらを所持していたメモ用紙に記入した後、本件けんかについて乙山らから事情を聴取した。この事情聴取に対し乙山は、諸井巡査に述べたのと同様に、交通事故のことで話合いをしているとき、原告がわけのわからないことを言うので、自分の方からテーブルをひっくり返したことから取っ組合い、殴り合いのけんかになったが、自分は下唇付近を殴られたり首を締められたりした旨を述べた。そして、乙山の右の下唇付近が赤くはれているのが認められた。また、乙山の傍らにいた丙川も、乙山と原告が殴り合いのけんかをした旨を述べた。木須巡査長らは引き続き原告の方に行き、原告から住所、氏名等を確認し、それを所持したメモ用紙に記入した後、事情を聴取したところ、原告は赤くはれあがっている左肩付近に手をやりながら、交通事故のことで話し合っているうちに、乙山がテーブルをひっくり返し、茶の湯をかけたことから取っ組合い、殴り合いのけんかになった旨を述べた。木須巡査長らは、原告の左肩付近を見ると、真赤にはれ、少し皮膚が破れているような状況で、やけどによるものと認められた。また、原告の妻美津子も、この事情聴取の際に奥の部屋から出て原告の傍らに来て、乙山がテーブルを倒したり、お茶をかけたりしたので原告と乙山が取っ組合いのけんかになった旨を述べた。この間、原告も乙山もなお興奮が収まらず、木須巡査長らが一方からけんかのことについて事情を聴取しようとすると、他方から交通事故のことで反論するという状態であった。木須巡査長らは、一一〇番通報のすぐ直後に現場へ到着した際の原告宅事務所内の散乱状況、原告や乙山らから事情聴取した内容、原告や乙山の衣服の乱れ及び原告や乙山には傷害や暴行を受けた証跡が明らかに認められたこと等から判断して、原告を暴行の、乙山を傷害の各罪を行ない終わってから間がない者と認めた。木須巡査長らは、本件が昭和五七年七月七日に発生した交通事故に端を発したけんかで根が深く、事件は原告及び原告の妻対乙山及び丙川という、いわば複数の者が互いに対立するけんかであったことから、逮捕する必要があると考え、同日午後一〇時四〇分ころ、木須巡査長が交通事故及びその後の交渉経過について口論をしている原告及び乙山に対し、「民事と刑事は別だ。暴行、傷害の現行犯だから本署に連行する。詳しい話は本署で聞く。」と告げた。木須巡査長は、事情聴取の間に、所持していたメモ用紙に、七月七日に起きた交通事故がけんかの原因であることや事務所の簡単な略図を記載した。
2 逮捕後引致までの経緯
諸井巡査は、木須巡査長の指示を受け、原告を原告宅事務所から出るように促してパトカーに乗車させ、内側からドアーを開けることができないように後部左右のドアーをロックした。原告は素直にパトカーに乗った。また乙山について木須巡査長らは、けんかの両当事者をパトカーに一緒に乗せることは危険防止上行なっていないこと、乙山の車両を原告宅前に残しておくと、後日乙山が右車両を取りに来たとき再びけんかをするおそれがあったこと、原告宅から小平警察署まで約八〇〇メートルと距離が近かったこと、乙山の住居、氏名、生年月日等を免許証等で確認し、メモをしたこと、免許証番号、車両ナンバーもメモしたこと等から丙川に車を運転させても逃走のおそれはないと判断し、乙山を丙川の運転する車両に乗車させ、丙川にパトカーのすぐ後についてくるよう指示し、パトカーに後続させて小平警察署に連行することとした。諸井巡査は出発前に、パトカーの無線で通信指令室を通じて小平警察署に、二名を暴行、傷害で現行犯逮捕し、連行する旨を連絡した後、木須巡査長がパトカーを運転した。パトカーの進行中、諸井巡査はパトカーの助手席から後方を向き、パトカーに後続させた乙山車両の監視を続け、また、木須巡査長もパトカーを運転しながら、パトカーのルームミラーやサイドミラー等で後続させた乙山車両を監視しながら約二分後に小平警察署に到着した。原告宅から小平警察署までは約八〇〇メートルであったが、この間、乙山車両はパトカーにぴったり後続していた。木須巡査長らは、午後一〇時五〇分ころ、原告及び乙山を宿直の責任者である阿部警部補に引致した。
3 引致後留置までの経緯
阿部警部補は、木須巡査長らに対し、原告らをそれぞれ取調室に入れるように指示した後、同巡査長らから、原告らを逮捕した経緯について事情を聴取するとともに、原告らの住所、氏名、年齢、けんかの原因が七月七日の交通事故であること及び逮捕現場の簡単な略図等が記載されたわら半紙四分の一くらいの大きさのメモ用紙二枚の引継ぎを受けた。阿部警部補は、木須巡査長らには現行犯人逮捕手続書を作成するように指示した後、深沢巡査部長とともに、原告らからそれぞれ弁解を録取した。木須巡査長と諸井巡査は連名で原告と乙山の現行犯人逮捕手続書を作成した。原告は、弁解録取に対し、住居地で電気工事業を営んでおり、年齢は四一歳である旨、乙山がお茶をひっくり返したことから取っ組合いとなった旨、乙山は私に殴られたといっているようだが私は手出しはしていない旨を供述した。また乙山は、ガソリンスタンドの店員をしており、年齢は二一歳である旨、原告とけんかになり、テーブルをひっくり返して原告に煮え湯がかかりやけどをさせてしまった旨を供述した。阿部警部補らは、弁解録取後、午後一一時すぎころから引き続いて原告らを取り調べた。その結果、原告の左肩部分にやけどの跡がはっきりとあり、また、乙山の下唇付近や足のすね部分が赤くはれており、一一〇番通報の内容、木須巡査長らからの引継ぎ内容と一致していた。取調べに対し、乙山は、お茶をひっくり返して原告にやけどをさせたこと、原告と取っ組合いのけんかになり、自分も原告から首を締められたり、け飛ばされたりした旨を述べ、素直に犯行を認めた。他方、原告は、自分は手出しをしていない旨を述べたが、乙山と取っ組合いになったことは認めた。このころは、けんかが発生してから一時間近くが経過しており、原告も乙山も冷静になっていた。阿部警部補は当日の責任者である谷田警視に原告らの逮捕時の状況、弁解録取の内容、その後の取調べ結果及び留置の必要がある旨を報告した。谷田警視は自ら原告らを取り調べた結果、原告らを留置する必要があると判断し、その旨を阿部警部補に指示した。しかし、原告はやけどをしていたので、留置する前に治療を受けさせる必要があった。そこで、小平警察署司法警察員巡査加幡嘉之(以下「加幡巡査」という。)が、同日午後一一時四五分ころ、取調室で原告の左肩付近のやけどの状況を写真撮影し、その後病院への手配がなされた。病院からの連絡を待っている間に、原告の妻美津子が明日の仕事のことで原告に会わせてほしいといって取調室にきて、短時間、原告と明日の仕事の段取りについて打合わせをした。その後原告は、東京都小平市学園西町一―二―二五所在の医療法人社団青葉会一橋病院で治療を受け、約一〇日間の加療を要する左肩第二度熱傷、右肩擦過傷、左足関節捻挫、左足挫傷、右第五踵裂創と診断された。病院を出たときは、七月二三日午前零時を過ぎていた。原告は小平警察署に戻った後、二階の部屋で身体検査を受け、指紋を採取され、ズボンのベルトをはずされて留置場に入れられた。原告は留置場へ連れて行かれるとき手錠をかけられたが、それまでは手錠をかけられたことはなかった。乙山の下唇付近もはれていたが、その状況は写真撮影をしても写真に写るか否か疑問な程度であったので、写真撮影はされなかった。
原告の妻美津子は、午後一一時四〇分ころ小平警察署に出頭し、右のとおり取調室で原告と面会した後、加幡巡査から参考人として事情を聴取された。美津子は素直に取調べに応じ、年齢は三九歳であること、夫である原告と住居地で生活していること、原告は住居地で電気工事業を目的とする有限会社を経営していること、昭和五七年七月初旬に起きた原告と丙川との物損事故についての話合い中、原告と乙山が殴り合いのけんかをしたこと、二人が相互に手を出し合って殴り合ったことは間違いないこと、しかし乙山が最初テーブルを原告に投げつけたことも事実であること、原告の指示で自分が一一〇番通報をしたことなどを述べ、その旨の供述調書が作成された。右取調べが終わった正確な時間は明らかではないが、七月二三日午前零時をある程度過ぎていた。他方、丙川も小平警察署に出頭した後、午後一一時すぎころから深沢巡査部長から参考人として事情聴取を受けた。丙川は素直に取調べに応じ、年齢は一八歳であること、東京都保谷市に住み、家で家事手伝いをしていること、乙山とは友人であること、昭和五七年七月七日原告と自分が交通事故を起こし、車両の修理代金について乙山を交え原告と話合いの途中、原告と乙山が取っ組合いになり、部屋の中を重なり合いながらころげまわったことなどを供述した。取調べには一時間以上を要し、供述調書を作成し終わった正確な時間は明らかではないが、少なくとも七月二三日午前零時を過ぎていた。
4 翌日(七月二三日)の取調べと釈放までの経緯
原告は、七月二三日午前八時半ころから、小平警察署司法警察員巡査部長伊藤幸(以下「伊藤巡査部長」という。)から、乙山は後藤警部補からそれぞれ取調べを受けた。この取調べに対し、原告は、前科はない旨、交通事故の示談のため自宅を訪れた乙山がテーブルをひっくり返したことからけんかになり、乙山が殴りかかってきたのでそれに対応し、取っ組合いになり、乙山に暴行を加えたことで逮捕された旨、自分の家で乙山が暴れたことでかっとなり、テーブルごしにつかみかかってきた乙山の腰に両手で組みついていったので二人でソファーの上に折り重なって倒れた旨、自分が乙山に対しどんな攻撃を加えたかについては記憶していないが、乙山の乱暴をやめさせるために組み伏せようとしたことは覚えている旨、相手を押えようとしたときに自分の手やひじが相手の顔等に当たったかもしれない旨、約一〇分間取っ組み合ったが二人とも息切れがして自然にけんかが終わった旨、乙山の乱暴につり込まれた状態とはいえ、自分も興奮して取っ組合いになってしまい大人気なかった旨を供述したので、伊藤巡査部長は原告の供述調書を作成した。また、乙山は、前科はない旨、交通事故の話合いの最中、原告が自分を見下げたことを言うので頭にきて、テーブルを原告の方にひっくり返した旨、原告と自分が立ち上がりお互いの胸倉をつかみ合いになった旨、二人が事務所内から奥の畳の間に行っても殴り合いをし、約五分くらい殴り合った旨、自分が最初に手を出したが、自分も右下唇付近、両足首、胸、腕等に打撲を受けた旨、自分は原告から首を締められたり、握りこぶしとか腕等で殴られた旨、最初に手を出したのは自分の方なので悪いことをしたと深く反省している旨を供述したので、後藤警部補は乙山の供述調書を作成した。小平警察署司法警察員は、昭和五七年七月二四日午前八時、原告らに係る暴行、傷害被疑事件を原告らの身柄とともに東京地方検察庁八王子支部検察官に送致する手続をした。右送致を受けた検察官は、同日午後一時一五分ころ、処分保留のまま原告及び乙山を釈放した。本件被疑事件について、乙山は罰金二万円に処せられ、原告は不起訴(起訴猶予)となった。
5 担当警察官の地位
谷田警視、阿部警部補をはじめ本件捜査にかかわった警視庁小平警察署の警察官は、普通地方公共団体である東京都が設置する東京都警察の職員である。
以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
三 以上の認定事実に基づき、原告の主張する各事由について検討する。
1 逮捕行為の不存在及び逮捕の違法性について
前記二1認定の事実によれば、木須巡査長は原告を暴行の罪を行ない終わってから間がない者と認め、原告を現行犯逮捕したこと、原告には犯罪の十分な嫌疑があり、また、けんかの直後で原告も乙山もいまだ興奮が収まっていない状態であり、事情聴取をした際のその場の雰囲気、原告宅事務所内の物の散乱状況、けんかの原因となった物損事故についての話合いが依然として解決していないことや目撃者はけんかの当事者のほかは原告の妻美津子と乙山の友人である丙川の二人だけであることなどから、その場で原告らを釈放すれば、原告とその妻美津子が口裏を合わせるなどして証拠をいん滅するおそれがないとはいえず、これらの事情を考慮すれば、この時点では明らかに逮捕の必要がないとはいえない状況であったことが認められるから、逮捕行為は存在し、木須巡査長が原告を現行犯逮捕したことは違法であるとはいえない。
原告は、本件においては原告に対する逮捕行為が存在しない旨主張するけれども、木須巡査長が原告を暴行の現行犯として逮捕したことは前記二で認定した一連の事実関係から明らかである。木須巡査長らが原告を小平警察署に連行する際原告に手錠をかけなかったこと、本件では現場を保存する措置がとられていないことはいずれも原告主張のとおりであるが、逮捕は被逮捕者の身体の自由を拘束し、逮捕者の支配下におく事実があれば足り、必ずしも手錠をはめることを要しないし、また、事件の内容、性質によっては現場の簡単な略図をメモする程度で、現場を保存する措置までとる必要がない場合もないとはいえないと解されるところ、前記二1及び3認定の事実によれば、木須巡査長は所持していたメモ用紙に事務所の簡単な略図を記載したことが認められるのであるから、原告主張の事実だけから原告に対する逮捕行為が存在しなかったものと認めることはできない。また、原告は、逮捕行為が存在しなかったことの根拠として、逮捕に際し逮捕する旨を告げられなかったことをも主張するけれども、前記二1認定の事実によれば、木須巡査長は原告に対し「暴行の現行犯だから本署に連行する。」旨を告げているし、法律上、被逮捕者に対し逮捕する旨を告げることは要求されていないから、警察官が原告に対し逮捕する旨を告げなかったとしても、そのことから逮捕行為が存在しなかったものと認めることはできない。更に、原告は、請求原因1(四)において種種の事情を指摘して逮捕の必要性がなかった旨を主張する。そして、現行犯逮捕においても、通常逮捕及び緊急逮捕の場合と同じく逮捕の必要性を要すると解するのが相当であるけれども、既に述べたような逮捕直前の原告と乙山の態度、現場事務所内の物の散乱状況、けんかの原因となった交通事故に関する賠償問題が未解決であること及び目撃者二名と被疑者らとの身分関係ないし友人関係等からすれば、前述のとおり原告において証拠をいん滅するおそれがないとはいえず、この時点で明らかに逮捕の必要がなかったとまではいえないものと解するのが相当である。
したがって、逮捕行為が存在しないとの原告の主張及び逮捕の必要性がなかったとの原告の主張はいずれも採用できない。
2 留置の違法性について
司法警察員は、現行犯逮捕された被疑者に対し、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放しなければならない(刑事訴訟法二〇三条、二一六条)から、その必要性が存在しないのに留置することや、当初留置の必要性があって留置することになった場合でも、その後の捜査によりその必要性が消滅したのに留置を継続することは、いずれも違法というべきである。そして、右留置の必要性とは、逃亡のおそれ又は罪証いん滅のおそれの存在を意味するものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、前記一の当事者間に争いのない事実及び前記二認定の事実によれば、(1)原告及び乙山に対する弁解録取とその後の取調べの結果、原告は年齢が四一歳で、妻がおり、住居地で電気工事業を目的とする会社を経営していること、前科はないこと、逮捕、取調べには素直に応じたこと、原告は自分は手出しはしていない旨を述べてはいたが、乙山と取っ組合いのけんかとなったことは認めていたこと、乙山も、原告と取っ組合いのけんかとなった旨及び原告から首を締められたり、け飛ばされたりした旨を述べていたこと、実際に乙山の下唇付近や足のすね部分が赤くはれていたこと、しかし、乙山の傷は軽微なものであったこと、原告はやけどを負っていたことや翌日の仕事の段取りをする必要があったことから、弁解録取の際、警察官に対し、帰してほしい旨を述べていたことなどが判明していたこと、(2)目撃者の一人である丙川は七月二二日午後一一時すぎころから小平警察署で取調べを受け、原告と乙山が取っ組合いになり、部屋の中を重なり合いながらころげまわった旨を述べ、七月二三日午前零時すぎころにはその旨の供述調書が作成されたこと、丙川は素直に取調べに応じたこと、(3)もう一人の目撃者である原告の妻美津子は原告と面会するため小平警察署に出頭してきたので、七月二二日午後一一時四〇分すぎころから参考人として取調べを受け、原告と乙山は相互に手を出し合って殴り合ったことは間違いない旨を述べ、七月二三日午前零時をある程度すぎたころにはその旨の供述調書が作成されたこと、美津子も素直に取調べに応じたことなどを認めることができる。右の事実からすれば、原告に逃亡のおそれはなく、また、遅くとも原告の妻美津子及び丙川の取調べが終わったと推認される七月二三日午前一時ころには原告につき罪証いん滅のおそれもなかったと認めるのが相当である。被告は、原告とその妻美津子、乙山と丙川がそれぞれ口裏を合わせて証拠をいん滅するおそれがあると主張するけれども、原告の妻美津子は取調べに素直に応じて、原告が乙山を殴ったことを認めていたし、また、原告と対立関係にある乙山及び丙川が原告と口裏を合わせて証拠をいん滅することは通常予想しえないから、原告が弁解録取に対し、自分は手出しはしていない旨を述べて犯行を否認したからといって、そのことから原告に罪証いん滅のおそれがあると認めるのは、原告の年齢、職業、家族関係、犯罪の罪質、態様及び結果、相被疑者及び参考人の供述内容及び供述態度等諸般の事情に照らして合理的根拠に乏しく、被告の主張は採用できない。
そうすると、遅くとも七月二三日午前一時ころには原告を留置する必要性はなくなっていたのであり、しかも、この時点で原告を釈放する措置をとることも十分可能であったと解されるから、他に特段の事情がない限り、谷田警視及び阿部警部補が右日時ころ以降も原告を釈放しないで留置を継続した措置は適法とはいえない。もっとも前記二3認定の事実によれば、谷田警視及び阿部警部補は七月二二日午後一一時すぎないし午後一一時半ころには原告を留置する必要があると判断したことが認められるけれども、他方でなお引き続き参考人取調べ等の捜査を続けているのであるから、その結果、目撃者二名の供述内容や供述態度等をも併せ考えれば留置の必要がないことが判明したときは、その時点で直ちに原告を釈放する措置をとらなければならないものというべきである。なお、原告は強制的に指紋を採取されたことも不法行為であると主張するけれども、逮捕された被疑者の指紋を採取することは刑事訴訟法二一八条二項に基づく措置であるところ、前記二3認定の事実によれば、原告が指紋を採取されたのは逮捕後留置場に入れられるまでの間であり、原告を留置する必要がないことが判明した時点より後であることを認めるに足りる明確な証拠はないから、原告の右主張は採用できない。
四 以上によれば、谷田警視及び阿部警部補は、警視庁小平警察署所属の警察官としてその職務を行うについて、過失によって違法に原告の身体の自由を拘束したから、被告は国家賠償法一条一項により原告の被った後記損害を賠償する責任がある。
五 前記二認定の事実によれば、原告は昭和五七年七月二三日午前一時ころから同月二四日午後一時一五分ころまで留置の必要がないのに身体の自由を拘束されたことが認められるから、原告はこれにより著しい精神的苦痛を被ったものと認められるところ、原告が違法に身体の自由を拘束されていた時間や現行犯逮捕については逮捕の必要性がないとはいえないことその他本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、右精神的苦痛に対する慰謝料は二〇万円とするのが相当である。
六 よって、原告の本訴請求は、原告が被告に対し不法行為に基づく損害賠償として金二〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五七年七月二五日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、担保を条件とする仮執行免脱宣言の申立ては相当でないから却下することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢﨑博一)